dZi Beads  story  2

ここまで透明感のある母体を持つジーというのも非常に珍しいわけですが・・

 
その姿をやや日差しの強い屋外で
光の放つ方角に重ねれば
このジーの魅力となって
見た者を虜にするかもしれません。
 
通常、ジービーズというのは透けないものの方が
色が濃く乗る為、
マーケットでは高い評価をされます。
ただ、何度も申していますように・・
それはマーケットの評価であって、
「ジーを見る」という事とはまた別になります。
 
先にお話したように、
透明感の強い石に対して、
ジーという文様を乗せる場合、
その多くはやや色が薄くなったり、
文様が途切れたりとうことがよく見られます。
 
それは石の構造上の問題がそうさせているということを
数えきれぬほどのジーを見て来た経験としてお伝えすることができると思いますが、
古の職人がその姿を未来に描けないはずもなく、
敢えてそれに挑む理由を探ることが、
「ジーを見る」という事の重要なひとつになるのだと思います。
 
これには本来、文様と石の組成という関係について
科学的な視点をもって前段として臨むことが大事だと思いますが、
この検証においてはそれほど難しい世界ではありませんので、
いつかやってみたいと思います。
 
さて、こうした視点を抑えたうえで
改めてこのチョンジーを見ますと、
このジーがいかにきれいに文様を乗せているかという事に
少し驚かされます。
 
おそらく、焼き物と同じように、
微妙な加減が功を奏し、
後の姿に大きく影響したものとも考えられますが、
そういう工程への探究という意味でも非常に有効なチョンジーではないかと思います。
 
 
それではこのジーを見ながら少し考えてみましょう・・
 
なぜ・・
文様が乗りにくい透明感のある石を古の人々は選択したのでしょう・・・
それには古代の人々の石への想いを少し紐解いていく必要があると思いますので、
ジービーズがこの世に誕生する紀元前後の世界を見てみたいと思います。
 
古の時代、アジア各所で様々な文明が開化しましたが
その痕跡を探るうえで大きな対象のひとつに古墳があります。
 
古墳はご存知のように死者を祀るだけでなく、
様々な副葬品がそこに合わせて収められます。
 
そうした墳墓の中、頻繁に出土するものの一つに瑪瑙のビーズがあります。
そしてお墓に納められたこの瑪瑙は普通の瑪瑙というわけではなく、
ある共通性を度々予感させてくれます。
 
例えば、それはみなさんもご存知かもしれませんが、
縞文様を生かして眼を描いている瑪瑙であったり、
透明感の強い水晶質のもの、
もしくは水晶を内包する石であったりします。
 
つまり古の人々は瑪瑙に対して、
先のような特徴を求め、
その特徴を備えた石にある種の世界観を抱いていたということなんですね。
 
ですから先のお話に戻りますが、
ジーという文様をのせること以上に
古の人々はその母体となる石からまず大事にしていたということが窺えるわけです。
 
もちろん、この思考は千年という時代の流れの中、
少しずつ変化を見せていくように感じますが、
かつて、古の人々は石を選ぶ事もとても大事にしていたのではないかということが
この石からも伝わって来るような気がいたします。